私たちには住む家があります。仕事や勉強をしてから、帰って休む家があります。肉体を着ている私たちの魂も、永遠の宿があります。私たちを形づくり、一生を通じて見守ってくださる主は主の家である天国に導いてくださいます。主を心に受け止める者は、神様によって豊かさを経験し、主の家に導かれます。主はこの地にも特別な恵みを受けた人に、御国の驚くべき光景を見せてくださいます。私たちが幼い時代から楽しんだものは、神様が集められ、いかに綺麗に作ってくださったのか、という秘密を私たちに知らせています。主は、こうした天の秘密を隠されず、心から求める者に見せてくださいます。星とギャラクシーの間で、星雲の光の下で、神様に向かって賛美の歌を歌う星の間で、私たちは実際に踊るようになるでしょう。すべてのものと、これ以上のものが、全部私たちのものになります。
そっと見せてくださる
主を愛する人たちに、神様は天国の姿を見せてくださる時があります。まるで舞踏会のような場所で、綺麗なドレスを着ている私たちの姿を見せてくださる時があります。非常に綺麗なドレスを着ている私たちの姿と、とても素敵な新郎の姿をしているイエス様を見ることができます。ドレスのそれぞれの部分が、どれだけ美しいか言葉では表現できません。色彩がとても素敵です。サーモンの色のような淡いピンク色のドレスと、髪の毛は後ろに緩いカールをしており、髪にティアラを飾っています。神様とともに踊る時、私たちは我々の貴さと主の貴さを感じられ、私たちの胸は賛美と礼拝でいっぱいになります。主は上手に踊りをリードしてくださいます。いかに嬉しく、驚くべきかは表現できません。神様の御顔を見上げる時、とても美しく輝いている御顔を見られ、私たちに振り向いている微笑あふれる瞳を見ることができます。踊って外に出ると、とても美しい庭が目の前に広がっています。この世のどこでも見ることができない、輝く美しい庭です。
主は実に私たちと踊ることを好んでおられます。主は、とても高貴で優しい方です。なお、全能で偉大な方です。主は神様ですが、私たち一人一人に極めて個人的な恋人でもあります。私たちのそれぞれの夢の完成は、恋人になる主、一人になります。各々の完全な恋人になってくださる神様は、その愛を望み、手を差し出す者たちに与えられる特権です。信じない者は、損するだけです。主は何も変化しない退屈で無頓着な方ではなく、怖くて厳しすぎて主の御子とともに喜ばない方でもありません。主は、決してそうではありません。私たちは私たちを造った方が何を備えて待っているのか分かりませんが、主は教えたいと思っておられます。私たちは必ず主とともに、踊ることになるでしょう。
喜びの服を着ておられる
主は、実に喜びの神様です。人は宗教的な考えに捉われすぎて、踊っている神様を受け入れられません。聖書には明確に次のように書いてあります。
お前の主なる神はお前のただ中におられ勇士であって勝利を与えられる。主はお前のゆえに喜び楽しみ 愛によってお前を新たにしお前のゆえに喜びの歌をもって楽しまれる。(ゼファニヤ書 3章17節)
主の本性について、あまりにも多くの誤解があります。無邪気さや楽しみは神の名の一つです。主は主の子たちと遊ぶことを非常に好まれておられます。主は主の子たちの無邪気な笑いと、楽しく反応することを愛します。主は私たちを驚かせて、帽子を小川に落としてくださるのも好きです。それで私たちの心に、天国はとても楽しいことでいっぱいだという考えを注いでくださいます。私たちが嬉しい時、主も嬉しいし、私たちが愛を感じる時、主も愛を感じています。これこそ、主が私たちを愛する理由の一つです。主はいかにロマンチックで、主の子たちと踊りたいのか存分に想像してみましょう。その心を備えていると、神様は必ず現実になるようにしてくださいます。
私たちとの関係で、主が本当に望んでおられるのは、親密な愛の関係です。この関係をすべての人が分かるように、神様はいかに望んでおられ、また力を尽くしてくださるのか、私たちはよく分かりません。私たちの人生の中で、主がどれほど深く心を痛めながら、上記のようなことを分かち合いたいか、あなたは想像もできません。主は私たちの心の中に生きておられ、私たちのすべての思い、感情、行動を一緒に経験しています。私たちの強い意志の行動の中で、主と一つになり、主の御心が染み込んで永遠に続けるように、主は望んでおられます。私たちの心の中で宿っている神は、このような望みで私たちの心の一角を占めています。これは私たちの創造主によるものです。心の一角で私たちは完全に満たされ、神様は私たちに驚くべき贈り物をくださいます。この贈り物は、ある被造物が永遠に宿る一角として神を選び、他ならぬ感謝の意を表し、他ならぬ聖なる神を受け止めることによって、神様に贈り物をささげることです。
完全なる恋人
主は私たちの恋人としてやって来られました。主が私たちの人生のすべてをどれだけ強い愛で包まれているのかを説明できる、唯一の方法だからです。主がアダムのためにエバを造った時、最もふさわしい相手としてお造りになり、これは私たちと主の間で、主が望んでおられる一つになることを見せるためでした。人生を生きていく中で、特別な努力を傾けることなく、苦労せずに生きていく能力を、私たちにも与えることもできました。もし、そうしたならば、私たちは動物が生きていく姿と似ていたかも知れません。しかし、神様は私たちが常に主と一つになり、私たちの人生の喜びや悲しみも主とともに分かちあいながら生きるように、つまり、私たちが何よりも常に主にすがり付いていく人生を望んでおられ、私たちを導いてくださいます。
主はこのような関係について、何の恐れも抱かないこと望まれるので、恋人として、私たちの近くに来てくださいます。これはとても自然なことで、私たちの人生の中で、主はどのような存在なのかを理解する上で必要なことなのです。
これと同じ方法で天国が存在します。しかし、世の中で私たちが主とどの程度の水準で一つになったのかによって、天国でもその水準が決まります。もし、私たちが世と肉に属するすべてのものを後にして、主がすべてであると感じて生きたなら、私たちは天国で神様がくださるすべてを持つことになります。もし、私たちが腐って消えるこの地のものに心を留め、神様よりもっと愛したなら、私たちは天国で楽しみの住まいがあったとしても、それはこの世で選んだものによって、制限されるでしょう。
世の中の知識水準で考えてみれば、これについて理解できる人は、誰もいないでしょう。これが恵みです。神様がくださる恵みなのです。私たちが主の近くに出て行けば行くほど、更に多くの恵みを私たちの心に授かることができます。私たちが主との関係をより強く望めば、私たちはますます神様のものとなり、主はますます私たちのものとなります。主が他の人と一緒にいるからといって、決して私たちの関係は薄れていきません。神様は無限で、終わりのない方だからです。私たちは主の恵みや豊かさを経験でき、それと同時に、他の人もそうすることが可能です。これはミステリーです。ただ、神様を受け入れて、神様は私たちのすべてになることを望んでおられるという事実を、心に刻んでおかれたらと思います。主は、その代わりに主のすべてを私たちにくださり、私たちが神様に知られたように、私たちも神様を知るようになります。
愛する皆さん、頭の中にある質問や疑問を止めて、主のふところに抱かれますよう。主はあなたを待っておられます。主は平和の海を持っておられ、そこであなたが洗われ、あなたの魂は安らぎを手にいれることになります。
天国に対する夢を大切にしてください。そしてあなたの心を準備してください。なぜなら、主は必ずあなたの夢を必ず現実として変えてくださるからです。これをあなたの心の中で大切にしてください。一度読んだだけで終わるのではなく、繰り返して読んでみたら、あなたに新しい喜びが与えられるでしょう。なぜなら、あなたに喜びと驚きを与えるために、主は惜しまない恵みを注がれるからです。神様の愛と約束で、この文を読んでいるあなたを祝福します。しばらくすると、私たちは主とともに永遠に一緒にいるでしょう。