世の中には愛が存在します。どんなことものより美しいのは愛です。夫婦間の愛、親が子どもに注ぐ愛、恋人同士の愛や、友だちとの愛、ペットに対する愛など。そしてこの世の中には美しいものがとてもたくさんあります。まず、自然そのものが美しいものです。 木、海、空、日差し、空気、雨。これらすべての美しさも、すべての人に向けた、誰よりもあなたに向けた深い愛が込められています。ここでは愛の根源についてお話ししていきたいと思います。
愛の根源
私たちが経験し受けているすべての愛の根源は、神様によるものです。私たちが想像もできない領域や場面で、主の愛は満ち溢れています。この愛の根源をみつけた人こそが味わう感激と献身は、誰も理解ができません。見つけた出した人だけが授かる密かな秘密となります。聖書ではこのような人を、次のように描いています。
天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。 (マタイによる福音書 13章44節)
あなたの周りにもこのような人がいますか。誤った宗教にはまったわけではなく、誠の神様の愛に深く触れ合った人がいますか。残念なことに、この愛が人の心の奥底に刻まれてはいても、周りの人々の目には見えないのというのが問題です。しかし、人の心の奥底にある愛の話を聞くことができるなら、耳を傾けてみてください。十代に経験した初恋よりも、わくわくして情熱に満ちた神様とのラブストーリーを聞くことができるでしょう。
神様からの愛は実に柔らかく、深く、親しみがあり、非常に強いものです。一日を過ごし、ほんの一瞬でも神様からの愛を経験したら、その愛は非常に柔らかであっても強いものです。何故、そんなに強いかがお分かりでしょうか?見えることもなく、遠く離れているような神様を、なぜ愛するようになるのか、不思議に思われないでしょうか? その理由は、神様からの一人一人に対する愛が、その愛がとても深く強いからです。
主のふところにある、私たちの存在
私たちは、私たちが生まれる前に、ひいてはこの世界が創造される前から、神様の御心にある被造物でした。父なる神は私たちを御胸の中に抱いておられました。私たちの精神、私たちの心、私たちの魂、私たちの存在、私たちの体、私たちが進む道など、すべての部分を主は御胸の中に抱いて下さいました。そして、私たちが各々の時間に生まれるよう、予め定められました。私たちが存在したのは、ただ人間の性的な関係による偶然ではありません。決して偶然ではないのです。神様は私たちが生まれた国家、家族、生まれた時期を予め定められました 。父なる神は私たちが通う学校、私たちが一緒に過ごす友だち、そしてけんかする友だちまで定めて下さいました。私たち人生のすべての場面だけではなく、すべての歴史を予め決められました。私たちがそのように考えるか否かを問わず、それが事実なのです。
罪が入ってきて
しかし、罪がすべての人に入りました。そして罪は、私たちの人生に試練や誘惑など困難へと導いていきます。罪により私たちは生まれたその日から神様を悪く考えるよう、サタンから誘惑を受けてきました。それにもかかわらず、あらゆる瞬間に神様は、私たちと共におられました。神様の天使たちも私たちを守っています。
あなたがたった一人ぼっちだと思ったその時も、あなたの人生の中で最も困難な時期だと思ったその時も、人生がもはや先に進むことなど到底できないと思った時も、これ以上悪くなることなどないと思ったその時も、神様はあなたと共におられました。あなたを引き寄せ、あなたが目を上げて神様を仰ぎ、あなたの魂に神様の愛と神様の道、神様の御心を入れて下さいました。
あなたが美しい蝶、可愛い愛らしい子猫を見て、しばらくの喜びの火花を起こすたび、それらも神様が送って下さったものであったのです。あなたが両親、兄弟、先生、友だちから本当の愛のことばを聞くたびに、主はその人たちを通して(彼らが知る知らざるを問わず)、あなたが神の御手を握って付いていくように、大きな声であなたを呼んでいました。これは真実です。主はあなたが良い時も、悪い時も、いつもあなたと一緒にしました。
本当に愛していますか。
あなたは今多分こう思うことでしょう。’うーん、神様が私をあれほど愛していたのなら、なぜこのようなことが起こったんだろう?どうしていろんな事が起きたの?神様の愛?だったら・・神様、今私たちの世の中をみてよ。今、私が住んでいるところをもちゃんとみてよ。’
これらすべてのことを完全に理解するのは難しいことです。しかし、そんな考えをしばらく置いといて、怒りや否定的な考え、そして理性を置いといて、しばらく考えてみましょう。
一本の木になっているリンゴは周りの木のリンゴと同じように育てられているのでしょうか?その実はあるものは完全で、あるものは不完全なものがあるのではないでしょうか?ある時は、一つの木に完全な実と完全ではない実が同時に並んでいることもあります。あるものは、美しい赤色をして、あるものは変な色のものもあります。あるものは虫に食われ、傷ついたものもありますが、ずっと木にかかっているものもあります。ある一つのリンゴは、人に食べる楽しさを感じさせ、ほかの一つは木にかかってはいたのですが、地に落ちて人の足で踏まれて傷んだりします。
リンゴに関することのすべては普遍的に神様の創造の一部分であり、神様の栄光や神様がどのような方であるかを現す一部分であり、神様の創造の力をもってこの地に供給されたことが分かる一例です。そして主がすべての被造物をケアしてくださるように、あらゆることすべてを治めておられます。
同じ胎内から生まれた子犬たちがいます。一匹は自分を大切にし、温かく面倒を見てくれる家で育てられ、喜びと幸せがあふれる家庭に送られました。他の一匹は自分を殴り、虐待し、結局、殺してしまう暗くて残忍な心の持ち主に送られました。神様の御心は果たしてこの二匹全部を愛していないのでしょうか?二匹とも神様の被造物であるのなら、神様に大事にされるべきではないでしょうか?最後に神様が天使を送って、彼らを腕に抱いて、喜びに溢れる御国に連れて行くのではないでしょうか?
五羽の雀が二アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、神がお忘れになるようなことはない。(ルカによる福音書 12章6節)
誠に神様の眼差しは雀の一匹にも臨んでおり、さらに、雀の一匹一匹が落ちる時を知っているという神様の御言葉を人々は信じません。また、人は神様のすべての被造物の一つ一つがどのように主の心の一部を占めているのかも理解ができません。
あなたは今のはなしを少し変だなと思っているかも知れません。ただ、しばらく落ち着いて考えてみましょう。一人の芸術家がいます。その芸術家が描く各々の絵を思い浮かべてみましょう。その絵には、彼自身の多くのものが込められています。芸術家は自身で描き、自身で作ったものについて愛着を感じます。このように芸術家は、彼自身が作ったすべてのものに、自分の真心を注ぎ込みます。これと同じく、私たちが見ている全てのものが神様の’傑作’であり、あらゆる場面ですべてのものは神様の一部分であるということが分かります。あなたが世の中で見ている’すべて’のこと、リンゴまでも!
この世の中で見えているものは全てではありません。見えていない魂の世界では、もっと驚くようなことがあります。神様は、私たち一人一人のために、天国に美しい家と新しい私たちの姿を備えていらっしゃいます。そして主の深い愛を経験した人に、天国について見せて下さいます。そして、天国を知らない人々に知らせるようにしてくださいます。
天国では分かるようになる
天国では、すべてのものに注ぎ込まれている愛によって創られる変化を見ることでしょう。ライオンと子鹿がすぐ隣で横になっていることもあり、昼寝をしながら、ライオンが子鹿を優しく抱きしめます。カワウソが貝殻を持って水面に上がってきて、あなたの足もとに置きながら、可愛い表情で撫でてくださいと近寄ってきます。蜂がハートの形を作りながら舞い上がって、あなたに自分の蜜を食べてみなさいと誘います。
あなたの足下の砂は、あなたがリラックスできればという思いから、あなたの足をやさしく包み込みます。峡谷の崖を頑張らなくても上がっていけるように、足場と手すりを持てるようになることでしょう。登っていく道すがらに見える宝石と、宝石でできた小さな洞窟が、あなたのことを驚かせるでしょう。鷲が自分の巣に座って、その子どもたちを撫でてくださいと、あなたを招くでしょう。木の葉はあなたが通る時、楽しい音を立てて、かさかさと鳴り、芝生がチャイムの音のように、きれいな音を立てながら、愛を持ってあなたを迎えてくれることでしょう。これらを反射して輝き、峡谷の崖に踊るように照らされるプリズムの光とともに、きっとあなたを喜んで迎えることでしょう。
天国の素晴らしさというものには終わりがなく、あなたが地上で神様のために生きていたとしたら、天国すべてのものは、すべてあなたのものとなります。このように神様はあなたが生きる中で経験していたことだけではなく、目に見えない世界の中でも、あなたを喜びをもって愛して下さる方です。あなたが毎日喜びに満たされるように、神様は愛を注いでくださいます。私たちがこれまで一度も想像したことがないことだけではなく、私たちがこの地で愛したものとともに、何よりも私たちを愛し、私たちを憐れんでくださる神様とともに、天国で永遠に一緒に暮らすことを神様は切に望んでおられます。天国では、砂、木、芝生さえも、主の愛に反応します。これらすべてのものを私たちが完璧に理解し、受け入れることは難しいでしょう。
友だちとして呼ばれます
神様は、私たち一人一人を友としてお呼びになったりもします。もし神様がリンゴ一つにも関心を傾けられるのなら、太初から神様が考えて造られた’一つのリンゴ’、私たちは決してそれを見ることがなかったとしても、神様の栄光が宣言されるように造られていたとしたら、神様が目の前で動いている’子犬’にも関心を傾けられているとしたら、あなたに向けられている神様の愛は、いかに偉大なものでしょうか?
愛する神様の友である皆さん! 皆さんそれぞれに向けられている神様の心の愛は、決して推し測れることはなく、人間の理解をはるかに越えるものです。私たちは神様の被造物であり、その中でも最も優れた被造物です。神様は地上にアダムを創造され、彼に命を与える前に、すでに彼を神様の御胸に抱かれました。
あなたの魂が神様の前に進んで、神の王国へ進んで神様とともに永遠に生きることを、神様がどれほど望んでおられたのか、私たちが想像することは難いことです。
神様は私たちに切に願っておられます。深く考えてみるようにと願っておられます。私の周りにある世の中の美しさを見てみましょう。今日からは、すべての小さい虫、すべての小さな蝶、すべての小さな動物だけではなく、身の周りで大きくなっていく植物さえも、神様は誰であるのかを、そして神様ご自身が造ったもの全てに対して、主が供給なさったことを現す一例となっています。すべての創造主である神様は、私たちの必要を満たしてくださり、次のように私たちにささやいています。
「私はあなたを愛している。私のところに来なさい、私の友よ! 私があなたに栄光で、独創的で、完全なる新しいもの、これらすべてとともに、驚くべき命を与えよう。私のところに来なさい、友よ。 来なさい!」
この世に存在するすべての根源となった神様の声を聞いて、真理を悟ることができるように、お祈りいたします。