Shalom~小野由貴です。
今日も、子どもたちのため、親自身のために、必要な天国の考え方について分かち合いたいと思います。主題は『柔和な者』です。
(マタイよる福音書5章5節) 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐからです。
イエス・キリストは、柔和な者が地を所有し、それを治めるようになると言われました。世間の考え方とは正反対ですね。これがまさに天国での考え方のようです。この世では、明確な目的意識を持った人が計画を立て、その目標に向かって何度も何度も集中し、土地を占め、お金を稼ぎ、名誉も積み重ねていくようです。そうすると、当然ながら、隣人を思いやり、愛することを忘れてしまいます。自分の周りの人の世話をし、愛することに時間を使うより、土地や地位を占めるために、自分が望むものや目指しているもののために、すべての時間と才能を注がなければならないのです。
しかし、イエス・キリストは、天国を心に抱いて生きる人々に、機会があればいつでも思いやりと柔和な心で隣人に接し、愛することを望んでおられます。なぜなら、この穏やかな心こそがイエスさまの心だからです。決して強要せず、厳しくせず、計算をせず、助けが必要な人たちを温かく世話する人々になることを願っておられます。いつも人に譲り、我慢して、我慢して、限りなく我慢することを願っておられます。これがイエスさまの姿ですので、私たちも似てほしいということですね。私たちの心が柔和な姿に変わると、主も私たちの心の中で一緒にすることが楽しくなり、喜びがいっぱいになります。
柔和な人の姿が何なのか考えてみましょうか。 自分の仕事に追われることなく家族や隣人の必要なものを世話する姿、隣人と争わない姿、自分があまり持っていなくても貧しい人のことをつねに考えて慈悲を施す姿、自分が正しいというふうに主張を押し付けない姿です。また、荒れていない姿、誰かが間違っても批判や罪を犯さない姿、 つねに人の徳を立ててくれる姿、自分の過ちを悟るとすぐに悔い改める姿、隣人の良い点だけを眺める姿、いつも優しくて良い思い出を残すなど、これ以上の柔和な者の姿がもっとあると思います。
このような柔和な姿を可能な限り多くの人に見せて、最高の印象を残すことになれば、それが人々の心に残るイエスさまの姿になります。まずは自分の子供たちと配偶者に、そして近所の人たちにこの柔和な姿を見せなければならないようです。
しかし正直、私たち夫婦もこういう主の姿や願いを知っては いましたが、私たち自らが似ていくに足りないことがとても多かったようです。子どもたちに言っていることが正しいと思って強要し、荒く押し付けている姿も多くありました。利己的な心で行動する時も、言葉で傷を与えたことも、私たちのやり方を主張する時も多かったようです。それは、イエスさまが望んでおられることとは、かけ離れた姿であります。
様々な葛藤の末、私たちにとってもっとも重要なことは内容ではなく、柔和な態度であることにやっと悟りました。この真理に悟る前は、 本当に多くの間違いを繰り返しましたが、今は、柔和にできなかったことを深く悔い改め、少しず つ良くなってきているように思います。 私たちの穏やかな心、穏やかな考え、穏やかな行動こそが、この世に存在する最も甘い天国でなければならないようです。
実際、隣人を愛することは、クリスチャンとして私たちに与えられた最も重要な役割であるように思います。本当に私たちが穏やかで謙虚な姿を十分に発揮することができれば、 人々は私たちの姿でイエスさまを見ることができると信じています。それで具体的に変わった姿を人生を通して見せていると思います。
サタンという存在があります。神さまとイエスさまの敵です。このサタンは、 人々の心を分裂させるために、私たちの心を刺激し、お互いに否定的な記憶を残すようにしようとあらゆる試みを行います。本来ならば暖かい心が伝わらなければならない状況で、争いや論争を起こすように促します。 そうすれば私たちは論理で戦いに勝てようとする場合があります。そのような戦いは勝つことになったとしても結局敗れるようになります。その理由はまさに柔和という天国の姿が失われてしまったからです。
私たちにとって最も大切なことは、常に心に平和を保ち、常に人や家族に愛らしい思い出だけを残すことです。このように、愛は天国の主人であるイエスさまや神さまのご性質であり、愛はすなわち魂の言葉です。忍耐強く、謙虚で、何よりも柔和な姿を見せることは、そのいかなる賢い論理よりも説得力があり、さらに進んでイエスさまに大きな栄光をささげることになります。ですので、いつも論争をしようとするサタンの爪が、私たちの心の隙間を狙って入り込もうとするときは、私たちの心を祈りの密室に移さなければなりません。つまり、本当に人を批判したり、私が正しいという式の考えを主張しないでください。そうしないと、いつの間にか相手は逆に行動し、嫌味を言ってきたり、口論になったり、 戦おうとする態度を見せる可能性が高くなります。
イエスさまが私たちに本当に求めているのは、柔和な心です。攻撃的な心や態度ではなく、心の奥深くから優しく愛する柔和な姿を持ってほしいと願っておられます。相手が醜い行動を見せる時には、適切な了解を得て、争いの種を残さず、静かにその場を離れる方がはるかに賢い方法のようです。このように親が先に柔和な姿を整え始めると、子供たちも自然に姿をみて学ぶようになります。柔和な姿を通して心の中から天国を抱いて生きることが、子供たちに天国をプレゼントするための最初の入り口だと思います。
今日はいろいろと大変なことがあるかも知れませんが、柔和な心を持って天国を心に抱いて生きていきましょう!
それでは、子供たちに天国をプレゼントしましょう。Shalom~Hallelujah