子供たちに天国をプレゼントしましょう。 シャローム~小野由貴です。
秋が深まる季節です。 季節の変化が多い時期のように、私たちの心も愛に染まって変わることをお祈りささげます。 今日もイエスキリストが教えてくださった天国の考えについて分かち合いたいと思います。 (マタイの福音書5:10)義のために迫害された者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。 義のために迫害を受ける人が天国を得るそうです。 義は正しいことと正義とも言いますが、つまり真理のことです。 真理は、時によって変わったり、無意味になって消えたりするのではありません。真理は、永遠の価値を持って、永遠に持続する考えや概念を言います。 つまり永遠に正しいこと、永遠の正義が真理であり義なのです。この義を心に留めて生きていくことによって、この世では迫害を受けますが、それこそが天国を得る人の姿になるという意味です。 第5回目の「義に飢え渇く者」についてお話しましたが、世の中の考え方に深く染まった大人は、まだ天国の考えをもっている素直な子供のように変わらなければ、天国に入りにくいと分かち合いました。
真理に飢えて渇く人は真理を知ることになります。なぜなら真理の神さまが、その真理を知らせたがっているからです。 それから、その真理を心に深く秘めて実践していく人は、真理の反対側の考えを持った人々や状況から迫害を受げますが、その迫害の報いは天国を得るということですね。 真理、正義、義は一言で「互いに愛し合いなさい」です。 私たちクリスチャンは聖書の御言葉が真実であると信じています。 ところで聖書のすべての教えは、結局「互いに愛し合いなさい」です。 すべての人間は神さまの姿にかたどった魂で作られ生きていますが、この地で「互いに愛する」という訓練を受けながら生きていきます。 決して変わらない真理、つまり「愛せよう」という教えをすべての人が持っているのです。 この真理を超えて、全力を尽くすべきものは決して存在してはなりません。 どんな瞬間にも、どの人に対しても私たちの心をつかむ権威的な態度を見せないために、非常に気をつけて、丁寧で、手際よく行動しながら「真の愛」が表れるようにしなければなりません。真理の教え「互いに愛し合いなさい」にも関わらず 瞬く間に私たちの心は権威的な姿に変わり、他人を判断し、指摘する考えと言葉が湧き上がります。 特にこのような姿は、家庭内で配偶者や子供に対しても、より寛大に愛せない時がいっぱいいっぱいあります。 一歩進んで真理に大胆に対敵したり、人々を誹謗したりします。 このように愛とは、 一日にも数十回も石に引っかかって転ぶように真理の道からはみ出しているのです。 我慢できず怒鳴りつけ、チャンスを与えずに責め立てることもあります。今、世の中を見てますと判断と批判と誹謗がどれほど多いでしょうか? 言うまでもなく私たちの心の中を覗いてみてはいかがでしょうか。結局、愛という真理が一人の人生の中に定着するためには、 十分な訓練の機会が与えられ実践することが必要です。つまり、聖書で言っている愛に対する明確な悟り、愛を実践しようとする強い決心、多くの失敗を克服しようとする努力、もっとも大切な神さまのめぐみ、天の恵みが必要です。それでは、私たち自身が真理という愛に渇きを感じているでしょうか。当然のことですが、人は生まれた瞬間から死ぬまで食べ物が必要であり、欲しがります。生まれたばかりうの赤ちゃんもすぐ母乳をくわえようと口を開き、臨終の苦痛の中でも元気をだすため何かを食べようと口を開きます。どうしても生きる間は身体を生かせる糧を絶えず求め、一生懸命に働き日用の糧を大地から得ます。しかし人は誰でしょうか。神さまにかたどった魂を持つ神の子です。 この地から、長いもしくは短い歳月を経て、いつかはこの地から離れ天に里帰りします。目に見えるこの地から目に見えない霊の世界に人が居場所を移したとしても、命が終わるわけではありません。
例えばですが、クルミの殻がクルミではなく、中身がクルミです。 もし私たちが地面にクルミの実がない殻だけを植えたら、何も実れません。しかし、実のあるクルミを植えると、いつか実れる木が芽生えます。人も同じです。 不滅のものになるのは殻の肉体ではなく魂です。 そして魂を不滅に導くためには、魂に糧を与えなければなりませんが、この糧が真理と正義です。 真理と正義は、人の身体を丈夫にする食べ物や飲み物のように魂に吸収されます。 このように魂が養分を取れば取るほど、真理を得て正義を知ろうとする聖なる貪欲が大きくなります。
まさにこの聖なる欲求を渇望する魂がお腹いっぱいに食べる日が来るでしょう。 その日は必ず来ます。 神さまは自分にかたどった高貴な魂を持った子たちに自分自身を与え、私たちを直接あなたの胸に抱きます。また、先に天に里帰った子に対しては、母親の懐に抱かれたように、魂の糧である真理と正義をお腹いっぱい食べているでしょう。 二度と絶対に真理に対して空腹や渇きを感じず、神さまの胸で極めて幸せに休みます。 どのような人間の知識も神さまの崇高な知識には至りません。 知能の好奇心は満足を得ることができます。 しかし、魂の欲求は知識や知能で満足を得ることはできません。もしこの放送を聴いている皆さんが、神さまを探し求めるならば、心配しないでください。 ただ最後まで神さまを愛し、隣人を愛することに耐えて充実すればいいです。 そうすれば、皆さんを創造したその方が皆さんの魂を満足させることができるでしょう。
イザヤ書 58章11節 主は絶えずあなたを導いて、焼けつく土地でも食欲を満たし、骨を強くする。あなたは、潤された園のように、水の枯れない水源のようになる。
(Ⅰヨハネ4:16)神は愛です。
このみ言葉の中にどれほどの真理が含まれているかわかりません。 主の性質が愛であり、主の心が愛であり、主の恵みが愛であり、主がなされるすべてが愛であるため、天国のすべての存在が愛であるため、私たちにも愛せようと教えるのです。 非常に厳しくて強いみ言葉かもしれませんが、右の頬を打つ者には左の頬も向けなさい(マタイ5:39)、下着を取ろうとする者には、上着もとれせなさい(マタイ5:40)。一ミリオン行くように強いる者がいれば、一緒に二ミリオン行きなさい(マタイ5:41)。と、決して敵を憎まず「互いに愛し合いなさい」という真理と正義の道を教えます。このような真理と正義をもって愛するなれば、迫害を受けることになるともはっきりとおっしゃっています。 そうです。
人は世の中の価値基準に自分自身も知らず染まっていて、外的に高い地位や名誉に目が向き、目に見える富と美が大切に思われます。そしで、目に見えない内なる魂の美しさと心の強さには気にしなくなります。これは大切に思うべきことに目が向かないようにした、この世の権勢を握った悪さの戦略的な計略です。世の中は真理や正義や善があるところはどこでも悪魔のように善を憎むことが生じます。 実際、真理である愛の姿で生きる人は、偽りの真理を抱いて生きていく人の悪さをより目立たせます。
そのため、生活態度で絶えず正義を表わす人は、不義を犯す人たちに嫌われざるを得ません。 さらに、正義を愛する人々に対して怒りを爆発させるのです。
もう少しストレートな表現になりますが、お聞きください。 この時代の最も代表的と言えるのはメディアが悪い役割をしています。メディアに犠牲になった人々がかなり多いです。メディアが報道する内容は見た目はもっともらしく見えますが、深く入ると真理から外れたものが多いです。 それでメディアは私たちの心に真理、「互いに愛し合いなさい」から抜け出し、誰かを判断して批判するように導いていきます。 メディアは、人を愛そうとする私たちの魂の努力を踏みにじってしまいます。 本当にそうです。 特に深く考えず聞く公正でない批判や誹謗の言葉は、私自身と他人の魂に罪を犯してしまう言葉に同意させてしまいます。 そして、メディアは人々の考えの中に誹謗という汚い内容を注入しまいます。メディアから流布される誹謗の言葉の中には罪があり、また背景にはもっと深くて多い罪があります。 犯罪の罪悪があるだけでなく、重傷と誹謗と偽りと悪口と分裂と争いの罪が溢れてます。素敵な言葉で包装しましたが、結局誹謗に満ちたニュースの中に隠れている汚い罪に私たちの純潔な魂を捧げたいのでしょうか?正確ではないメディアは、国と世界を混乱に陥れています。それが真理という愛と罪という批判の間に行われる霊的な動きは現実的な力が存在します。
この時代のメディアを打ち切ることができないならば、私たち自身と家族、そして子たちの純潔な魂が罪に染まらないように何をするべきでしょうか。
我が家の子らもこの愛という真理! そして批判という世界的な価値観の間で訓練をしています。 毎晩食卓で聖書的な価値観を立てる時間を持っています。 子供らから一日中の出来事を聞き、イエスキリストが歩んだ愛する生き方を聞かせ、子供自ら決心して聖書的な価値観を刻む時間です。答えはいつも同じです。互いに愛し合うことです。そのためには、悪い行動をする友達に対して、憎まず我慢して、親切で、譲って、助けるように教えます。 ある日、 子供たちが真剣にどうすればいいのかと悩みながら聞いたことがあります。学校の先生は、悪い行動をし煩わしくさせる友達がいればすぐ先生に話すように教えたそうです。そうすれば、問題を起こす友たちを先生が注意させて、正しく教えることができますと言いました。いつも一括に子供らに同じく教えます。「 あなたたちと友達のためにどうすれば良いかな?ずっと我慢しながら心に祝福する祈りをして、ずっと親切にした方がいいかな? それとも先生に言ってその友達が叱られて気分が悪くなっても友達はかわり優しっくなったかな? 」と聞きました。そして、数ヶ月時間が過ぎた後に、子供たちが色々な経験をした後、こんな告白をするようになりました。 「確かにずっと我慢しながら心の中で切実に祝福しながらお祈りをし、ずっと親切にしたらその友達とすっこく!仲良くなりました。 しかし、ずっとすぐ先生に言いつけた友達は、その子と仲がとても悪くなりました」。皆さんはどう思いますか? どのような価値観をもってこそ、宝の子らがこの世の険しさを乗り越えられ心に天国を持つようになるでしょうか。私たちも試行錯誤をしながら、イエス·キリストの愛の姿を見習っています。私たちの常識では理解できない多くの真の真理を通じて、人生の知恵を悟りつつ成長している最中です。まさに今の成長できる時期がめぐみであり愛であり、本当に感謝です。
秋が深まるこの時期に、本当に私たちの心の中にも愛と真理の実が豊かに実ることを願います。
それでは、子供たちに天国をプレゼントしましょう。 シャローム~ハレルヤ