子供たちに天国をプレゼントしましょう。
シャローム~。小野由貴です。
この放送を聞いている皆さんの心に、天国の美しいアイデアが溢れることを願っています。今日も子供たちと私たち皆のために、神の国を得るために必要な心の持ち方について分かち合いたいと思います 。
(マタイによる福音書 5章 6節) 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。「義に飢え渇く者は神の国を得ることになるということを、心に刻む必要があるようです。義とは、正義、つまり正しいことを意味します。 他の言葉にすると、永遠に正しいこと、つまり真理のことです。
「義」は一言で「真理」ですが、この真理に対して渇望し、飢えを感じ、一生懸命に探している者が神の国に入るという意味です。
イエスさまがこう言われました。「わたしは道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。(ヨハ14:6)」本当に道であり、真理であり、命である、イエスさまがいなければ、我々は真理も道も分からなくなります。
魚が水の外に出ると死んでしまうように、私たちの魂も真理を失うと死んでしまいます。 イエスさまは、2000年前にイスラエルの地に人の姿で来られた時、会うすべての病人の病を奇跡的に治してくださったのです。イエスさまは神さまの力を持っていたので、どんな病気も治すことができました。
ところが、病気を治すたびに、お金のようなものは一切要求されませんでしたが、心の中にある罪を悔い改めるようにと求めました。 なぜなら、そのよんな罪があれば、肉体も魂もまた病気になるからです。
しかしですが、真理が何なのか分からなければ、何が罪なのかも分からないので、悔い改めることが不可能になります。 それで、イエスさまは多くのみ言葉を通して真理を教えてくださいました。罪が何なのか、真理である神のみ言葉によって、体も魂も綺麗になることを教えてくださったのです。これまで子供に天国をプレゼットしましょうの1回~4回目まで、お聞きになった方はご存じだと思います。真理についての、神の国の考え方とこの世の中での考え方には、大きな違いがあります。
つまり真理はいつも愛に関するものであり、自分自身を心から低めて空にすることにあるからです。しかしこの世を生きていくと正反対のことを考えながら生きて行ったりします。
この世に染まった大人たちの姿と、真理がまだ残っている子どもの姿について、しばらく考えてみると良いと思いますね。大人は自分の功績を考える傾向があります。 自分がどれほど努力して良い業績を残しては他の人々に貢献したのか。才能を使って物を多く積み上げたのか、どれほど高くて華やかなのか。このような姿は、イエスさまと共にいた12人の弟子たちにも現れた姿でした。 その度にイエスさまは弟子たちを叱りました。 つまりこのような自分の誇りや業績は、本当に神の国においては、何の価値も持たないだろうということを教えてくださったのです。
このような言葉を聞きますと、とても一生懸命に、生きてきた人生なのに何という言い方なのかと厳しく感じるかもしれません。そう考えになると思いますが、何より大切なのは、愛し、低めるということですね。!!
神の国の側面では、小さな子供は本当に大人より多くの真理を持っています。 その子供たちの純粋さは、神の国の扉を開く鍵をもたらします。 その純粋さの中に宿っている愛こそ、一つの魂を偉大にする力を持っています。そして愛とは、<神さまを愛し隣人を愛しなさい>という神様の大きな戒めに従うことが、神の国に入る道であることを悟らせます。
聖書には、このようなイエスさまの弟子たちの姿が登場しています。(マタイによる福音書18章1節) そのとき、弟子たちがイエスのところに来て言った。「天の御国では、いったいだれが一番偉いのですか。」
誰が一番偉くて高いのか。偉大なのか。このような質問は好奇心でもありますが、悪意に満ちた傲慢でもあります。 弟子たちも不快な質問をしてイエスさまの心を痛めたりしました。愛で構成された天のみ国の存在を知った人々でさえ、このような傲慢な質問をしたのです。主の答えは明快です。神の国で最も偉い人は、人々の中で「自分が最も小さい人だと考える人」です。 純朴で、謙遜で、信頼して、無知な人、したがって自分の心を子供のような心に作り直した人です。 知識も、権力も、財産も、たとえ目に見える良い活動までも、きわめて祝福された国で偉大な人になることはまったくできません。
その代わりに、自分を喜んで犠牲にし、何の報償も求めず、純粋な思いやりで愛し、他の誰よりも良い所がないという謙遜な考えを持って、主を愛し、隣人を愛する人です。これ以外には何も欲を持たない純粋さを持っている人です。すべてが主から来るという完全な信頼を持った人こそが、天のみ国で一番偉い人になることです。
私たちの魂が義、真理を飢え渇くということ。 神の国の考え方を愛し、渇望するということ。 それは愛のために自分のすべてを捧げることであり、他の人を高めながら同時に自分自身は低め続けるようです。 このような義の姿、真理を持った姿が、子供たちの心の中にはたくさん残っています。ですが、子供たちが大きくなっていく時に、親の教えや、親の生きていく姿をみて、学校や世の中で学ぶ世の中の考え方によって、子供たちもますます真理を失ってしまうようです。
私の家庭もまったく同じでしたが、真理を知った後は、とても努力しています。 世の中の考え方と真理について細かなことまでも、よく区別、分別していきながら、真理を選択するように子供達に教える日々です。それで私達も、いつも義に飢え渇く者として、心をもって生きています。
今日も愛するみなさんの心の中に、神の国の考え方が染み込まれるように祈ります。
子供たちに天国をプレゼットしましょう。シャローム ハレルヤ