シャローム~。子供たちに天国をプレゼントしましょう~!!
こんにちは。小野由貴です。
主の平安があなたに続くことを願いながら… 2番目のエピソードで、挨拶します。 今日からマタイによる福音書5章から7章までの、み言葉で、子供たちに天国をプレゼントする方法について話します。イエス・キリストが、子供や大人たちにも、天国を持つために必要なことを教えてくださいました。
マタイによる福音書5章3節です
「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。アーメン。
貧しさがキーワードだと思います。貧しさには実は天の秘密がたくさん込められています。
今日のテーマは「心が貧しい者」、その<貧しい人に対する気持ち、心>について話したいと思います。結論から言いますと、我々が生きていく中で、本当の宝物は貧しい人々です。 安らかに寝処もない方や子ども、障害を持った方、また親の死によって生活の道が閉ざされた人々、親から捨てられた子ども、収入がなくて生きていけない片親やその子ども、深刻な病気で苦しんでいる方、他の国から来た移住民など。 本当にこのような方は、私たちが出会う宝物なのです。
貧しくて小さな者に対する我々の心が熱くなり、その心が助けようと行動に移される時、おそらく主は、本当に嬉しく誇りに思うでしょう。私たちはこれをただ推測するだけであって、実状のことは全て分かりきれません。 例えば、私たちが愛する4歳児が下手に子犬の面倒を見ると、その姿が可愛らしくて笑いが我慢できない時があります。 そのように、私たちの姿がいろいろと下手ですが、きれいな心で貧しい人や助けが必要な人の世話をする時、私たちは愛を伝える神様の小さなメッセンジャーです。 これが神さまに仕えることであることを肝に銘じなければならないと思います。
聖書のマタイの福音書25章40節です。
すると、王は彼らに答えます。『まことに、あなたかたに言います。あなたかたがこれらのわたしの兄弟たち、それも最も小さい者たちの一人にしたことは、わたしにしたのです。』アーメン。
貧しい人々の姿は今も神様の心臓を引き裂くように痛くします。 この方々は、創世記の前から父なる神さまの心の底から、人類への贈り物として選ばれたのです。 天国でのこの方の報いは本当に大きいと思います。この事実は、多くの人によく知られていないようです。 ある人々はですね、貧乏をただ懲罰のように考えるかも知れません。しかし、すでにこの人々は、天国でその報いを受けたはずです。これは貧しい国にも当てはまるでしょう。彼らを助けることで、天の報いを受けることができる宝物のような機会、チャンスを私たちにもくださったと思います。 ヤコブの手紙2:5 です。
私の愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者として、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。アーメン。
私たちが貧しい人の必要を満たすことに仕えるなら、私たちの時間、お金、才能などが、天国に宝物を積んでいるのです。反対に、私たちの心が自分のために生きる、自分の成功を追求していくならば、その宝物は私たちの目に隠されています。 聖書には、孤児と未亡人(やもめ)の面倒を見るというみ言葉がたくさん出てますが… その理由がここにあります。
私たちは時々世の中で成功した人々に会います。出世した彼らの中には、謙遜な方もいらっしゃいます。しかしよく見られるのは貧しい心を見つけるのが、非常に難しいです。私たちが財物を蓄積すればするほど自分に満足して、主に切迫な気持ちで、すがろうとすることがなくなります。そのために常に神様にしがみつく、その心をみて、貧しい者は幸いだといっています。
神さまが貧しい人々にこのような約束をしてくださいました。もう一回
ヤコブの手紙2:5です。
私の愛する兄弟たち、よく聞きなさい。神は、この世の貧しい人たちを選んで信仰に富む者として、神を愛する者に約束された御国を受け継ぐ者とされたではありませんか。アーメン。
本当に本当に貧しい人たちは私たちに与えられた神の宝物です。 この方は、私たちの心を和らげ、聖なる生活をより忠実に送るよう導き堕します。そして、今私たちが生きているこの世、すなわち過度にお金に占領された社会のための完全な治療剤です。
何々ドリーム(Dream)、アメリカンドリームのようなものは、結局アメリカンの悪夢(Nightmare)になってしまいました。 借金の中で暮らすようになり、そのような暮らしの中で苦しみ、不眠症が伝染病のように広がり、狂気のようなお金のメカニズムを維持するため、昼夜を問わず暮らしています。ひどく言えば、人を狂わせるこのお金は、世界の王サタンから始まったのです。男女を問わず、全ての人を大きな罠で縛って主から分離しておこうというサタンの戦略です。
もしお金が豊富なら、そのお金をどう使おうかと計画するため、考えが休めません。そしてお金が足りなかったら、どうやって借金を返すかという心配で心が休めません。これは、主が私たちに命令した生き方ではありません。
もちろん、全ての人が望み生産的な人生を生きるためには、必要なものを持たなければなりません。これが正 しくて、善で良いのです。これが合って良いのです。 そうすることで、人々の心の中に神の知恵が育っています。 知恵, 慈悲, 充満, 人生の目的達成、こんなことは必ず成し遂げられますが、これは神がこの地に来てこそ完全になります。その時までは、この地に巨大な不平等が存在し、特にキリスト教徒は神のために生き、自分を犠牲にし、貧しい人々に施す人生を学ばなければなりません。勿論簡単なことではありません。それでも親が先にそうやって… 子供たちに教えながら伝えなければなりません。
愛する日本の皆さん、お母さん、お父さん、貧しい人々は私たちのための完璧な機会です。 チャンスです。ですので、この十字架を私たちの肩にやわらかく乗せましょう。つまり、神様のために貧しい人を助けるという十字架を背負い運びましょう。私たちが貧しい人々に対して深い切なさを持っている姿を神様が見たら、神様は本当に喜びます。 神様は、そのような魂に対し、非常に大きな祝福をしてくださると思います! 必ず!下さると確信します!
さらに、「自分の人生を変えるためにどうすべきか」と悩む多くの人の心霊が、 貧しい人々を助けることによって、生き生きと復活されると思います。このことに気付き経験して悟った人々は、心の奥底から感謝するものになります。
マタイによる福音書6章3節と4節です。
あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知らないようにしなさい。あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。アーメン。
結局、助け合う手の中で形成された連帯感、また励まし合うことは、魂を和らげてくれます。そして、もっと、もっと神さまに似ていきます。これは健康で霊的な生活、天国を抱く生活には欠かせないものです。
私の家は本当に感謝し、感謝しています。 その小さな実践で、月に一度、お米と食べ物と生活品を差し上げったことが、すでに2年が過ぎました。もちろん私たちがしている事を、受ける方々は知らないでしょう。これを子供たちと一緒にしながら、愛は見せるものではなく、愛することで自然に見えてくるものだと言います。つまり、目には見えませんが、差し上げる方も受け取る方の魂が愛の心でいっぱいになりです。
そして何より大切なことは助けが必要な方々に対して、謙遜な心で、尊敬する心をもって、愛を実践することです。この恵みによって子供の心や考え方が変わりましたが、何より私の方がもって変わったと思います!。以前よりずっと明るくなり、考え方も前向きに変わったと思います。この環境を与えてくださった主に感謝いたします。
私の家庭は、日常で様々な形で出会う、助けが必要な貧しい人々を大切に愛しています。
それでは、以上を持ちまして、 二番目のエピソードはここで終わりにします。
みんなの心の中に今日も天国がもっと大きくなって…
愛がもっと増えることを願って祈ります。
子供たちに天国をプレゼントしましょう~!!
シャローム~!ハレルヤ!!